土地記念講碑と下総台地13の開墾地

明治2年(1869年)、明治政府は徳川幕府瓦解により生活の場を失った東京(江戸)の窮民を救うため、幕府の馬牧場だった千葉県内の小金牧、佐倉牧の開墾事業に乗り出します。

その最初の開墾地となったのが「初富」で、開墾地が豊かになるようにとの願いを込めて「初富」と名付けられました。

鎌ヶ谷市北初富に所在する「光圓寺」敷地内に建設されている土地紀念講碑。

この土地紀念講碑は、開墾50年目にあたる大正7年に開墾先人の御先祖様たちの苦労を忘れないために造られました。

光圓寺は浄土真宗大谷派の寺院です。

光圓寺は、初富に入植した浄土真宗門徒の人たちが、先祖と同じ宗派の寺を懇請し、それに答え、光圓寺第24代住職石川玄西が、茨城県豊岡村(現在の茨城県常総市)から現在の鎌ヶ谷市北初富への移転を決意し、創建したものです。

※光圓寺の移転年については、明治37年或いは明治41年と伝えられています。

初富の光園寺(北初富所在)は浄土真宗大谷派の寺院で、東本願寺(京都市下京区)の末寺である。元は常陸国報思寺村(茨城県豊岡村・現茨城県常総市)にあったが、初富に居住した浄土真宗門徒の人たちの懇請により、当地へ移転した。その年代は、「宝海山光圓寺記録」(光圓寺蔵)によれば明治三十七年のことであるが、「寺院明細帳」には、「明治四十年四月二十三日茨城県庁ニ於テ移転許可、明治四十一年一月十二日当所ニ移転ス」とある。檀家は初富の一部である。(鎌ケ谷市史別巻 より)

明治2年から明治4年にかけて造られた13の開墾地は以下のとおりです。

1番目:富(はつとみ)鎌ヶ谷市・小金牧

2番目:和(ふたわ)船橋市・小金牧

3番目:咲(みさき)船橋市・小金牧

4番目:豊季(とよしき)柏市・小金牧

5番目:香(ごこう)松戸市・小金牧

6番目:実(むつみ)松戸市・小金牧

7番目:栄(ななえ)富里市・佐倉牧

8番目:街(やちまた)八街市・佐倉牧

9番目:美上(くみあげ)香取市・佐倉牧

10番目:倉(とくら)富里市・佐倉牧

11番目:(とよいち)白井市・小金牧

12番目:(とよふた)柏市・小金牧

13番目:(とよみ)成田市・佐倉牧

入植は13次に渡るが、のちに5次と6次の入植地を合わせて一つの地名とした。

<江戸時代の牧と開拓地の地名>関東農政局HPより