鎌ヶ谷・昭和の日々写真集より

鎌ヶ谷市郷土資料館が編集・発行した「鎌ヶ谷・昭和の日々(写真集)」という本があります。

これは、平成21年度鎌ヶ谷市郷土資料館企画展として平成22年3月20日に発行されたものです。

そこには鎌ヶ谷の歴史を知るうえで非常に興味深い写真が数多く掲載されています。

ここでは、その一部を紹介します。

なお、紹介する写真は鎌ヶ谷市郷土資料館の承諾を得ています。

鎌ヶ谷村消防組第八部一同(昭和13年(1938)1月7日)

消防組第八部(北初富)一同が初富稲荷神社前にて撮影したものです。

鎌ヶ谷村初富戦勝祈願(昭和16年(1941)頃)

愛国婦人会の皆様が戦勝を祈願して初富稲荷神社前で撮影したものです。

東葛・印旛大師講初富結願出立記念(初富個人宅)(昭和26年(1951)5月1日)

初富結願の昭和26年5月1日、巡拝に出発する前に撮影された東葛・印旛大師講一同の写真です。

最終の5日の午前には再び結願区の初富に戻り、講の全員での練り込みが行なわれました。

初富稲荷神社境内には大師堂があり、東葛印旛大師八十八ヶ所霊場12番札所に指定されています。

初富稲荷神社脇に完成した児童遊園(昭和44年(1969)6月)

完成した児童遊園で遊ぶ子供たち。

初富稲荷神社に参拝した七五三の子供と家族(昭和44年(1969)11月)

氏神様にお詣りする七五三の子供たちと家族。

新京成初富駅(昭和45年(1970)3月1日)

現在の初富駅は、新京成線(鎌ヶ谷大仏駅~くぬぎ山駅間)連続立体交差事業により、

2002年から2019年のおよそ17年という歳月を経て高架になりました。

新京成線初富駅前の踏切(昭和45年(1970)3月16日)

高架により今はなき踏切。

初富十字路(昭和44年(1969)6月)

現在、慢性的な渋滞が発生している初富交差点。

昭和44年当時は信号機すらありません。

初富十字路付近の道路(昭和44年(1969)9月)

横断歩道を渡る通園中の幼稚園児。近くには「かまがや幼稚園」がありました。

かまがや幼稚園は、平成6年に現在の場所に移転しています。

旧鎌ヶ谷小学校校舎教室(昭和45年(1970)3月20日)

鎌小旧校舎で最後の授業が行われた日に撮影された1枚です。

旧鎌ヶ谷小学校前の正門(昭和45年(1970)5月)

この年の昭和45年4月1日、鎌ヶ谷小学校は現在地へ全面移転しました。

この地には現在、「ショッピングプラザ鎌ヶ谷」が建っています。

町役場の庁舎(昭和45年(1970)1月)

この町役場庁舎は昭和28年(1953)12月に完成した3代目です。

現在の市立図書館の場所に建っています。

市立図書館と中央公民館(昭和56年(1981)11月6日)

昭和51年市役所新庁舎完成に伴い、町役場の庁舎は市立図書館と中央公民館として生まれ変わりました。

ヒマラヤスギが大きくなっています。

東武鉄道野田線鎌ヶ谷駅(昭和44年(1969)6月5日)

昭和44年当時の鎌ヶ谷のメイン駅は、東武野田線の「鎌ヶ谷駅」でした。

確かにこの駅にはタクシーが停まっていました。

北総線「新鎌ヶ谷駅」開業が平成3年(1991)3月31日。

新京成線「新鎌ヶ谷駅」開業が平成4年(1992)7月8日。

東武野田線「新鎌ヶ谷駅」開業が平成11年(1999)11月25日。

これを機に鎌ヶ谷のメイン駅が「新鎌ヶ谷駅」に変貌し、私鉄4路線(京成線含む)利用可能なターミナル駅となりました。

朝の通勤時間帯の東武野田線鎌ヶ谷駅前(昭和45年(1970)7月)

東武野田線鎌ヶ谷駅前の朝の一こま。

写っている人の多くは、精工舎へ通勤する社員と思われます。

精工舎(現セイコーグループ株式会社)鎌ヶ谷工場は、平成3年(1991)12月に閉鎖され、現在跡地には「パークサイド鎌ヶ谷」というマンション群が建っています。

なお、「精工舎通り」の地名は現在も残っています。

粟野の梨畑(昭和15年(1940)頃)

鎌ヶ谷の梨作りは、戦前は中沢地区中心でありましたが、親戚筋などを通して次第に鎌ヶ谷全域へ伝播していきました。

また、戦時中にも梨作りは行われていました。

梨の受粉作業を手伝う鎌ヶ谷中学校の生徒(昭和45年(1970)4月25日)

当時は、職場体験として中学校の生徒が受粉作業を手伝っていました。

中学生は、ご褒美としてふるまわれる美味しい昼食を食べるのが楽しみでした。

当時鎌ヶ谷には中学校は一校のみであり、11クラスあるマンモス校でした。

鎌ヶ谷市立第二中学校が設立されたのは、昭和47年(1972)4月1日でしたが、現在は鎌ヶ谷市立第五中学校まであります。