下総台地13の開墾地
明治2年(1869年)、明治政府は徳川幕府瓦解により生活の場を失った東京(江戸)の窮民を救うため、幕府の馬牧場だった千葉県内の小金牧、佐倉牧の開墾事業に乗り出します。
その最初の開墾地となったのが「初富」で、開墾地が豊かになるようにとの願いを込めて「初富」と名付けられました。
鎌ヶ谷市北初富に所在する「光圓寺」敷地内に建設されている土地紀念講碑。
この土地紀念講碑は、開墾50年目にあたる大正7年に開墾先人の御先祖様たちのご苦労を忘れないために造られました。
明治2年から明治4年にかけ造られた13の開墾地は以下のとおりです。
1番目:初富(はつとみ)鎌ヶ谷市・小金牧
2番目:二和(ふたわ)船橋市・小金牧
3番目:三咲(みさき)船橋市・小金牧
4番目:豊四季(とよしき)柏市・小金牧
5番目:五香(ごこう)松戸市・小金牧
6番目:六実(むつみ)松戸市・小金牧
7番目:七栄(ななえ)富里市・佐倉牧
8番目:八街(やちまた)八街市・佐倉牧
9番目:九美上(くみあげ)香取市・佐倉牧
10番目:十倉(とくら)富里市・佐倉牧
11番目:十余一(とよいち)白井市・小金牧
12番目:十余二(とよふた)柏市・小金牧
13番目:十余三(とよみ)成田市・佐倉牧
入植は13次に渡るが、のちに5次と6次の入植地を合わせて一つの地名とした。
<江戸時代の牧と開拓地の地名>関東農政局HPより