昭和60年代のリーフレット

昭和60年(1985年)に発行された「初富稲荷神社の御案内」というリーフレットがあります。

そのリーフレットの文面に、当時の神社と地域住民との係り合いや繋がりが良く分かる内容が記載されています。

その当時の人の思いを馳せながら、紹介したいと思います。

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昭和60年代の初富稲荷神社の住所は鎌ヶ谷市初富515番地でした。

その後、鎌ヶ谷市初富本町一丁目4番5号に変更になり、

現在は、鎌ヶ谷市初富本町一丁目5番33号です。

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初富稲荷神社の御案内

初富稲荷神社は、明治二年、開拓と共に京都の伏見稲荷より御分神を戴き、初富五一五番地にこの地区の氏神としてまつり、当時南北二区の区長と総代三名、当番組(年番)により、春の祈願祭に始まり、秋の豊年感謝祭を取り行われて来ました。

その当時は寒村で、「村は産土祖先が眠る 黄金花咲く尊い田畑一穂一穂に心がこもる さあさ働けおがんで今日も 土につかえる鍬仕事」と言う唄と共に、親しまれて来ました。

昭和廿年終戦後、この地が住み良いのか、年々人口が増加し、新旧融和して居ります。

この地を守護して下さる産土様と親しまれ、御子様が生れれば二十一日目には初のお詣りをし、又、長じて七・五・三の御祝には無事成長されたことを報告され、又、年の初めには、初詣される方が年と共に増加されて来ましたことは、実に喜ばしいことです。

これを子孫に伝え、この地の発展と子孫の幸福を願うものです。

尚、神社は大正時代に拝殿を、昭和に入って神殿と拝殿を、又、四十一年には開拓百年を祝って拝殿を住民(氏子)総員で新築され、今日に至って居ります。

この伝統を南北初富・富岡三連合会で、永久に護り通して戴きたいものです。

昭和六十年十月

初富稲荷神社は、氏子によって支えられている氏子神社であることが良くわかります。

創建百年祭時には、全額住民(氏子)の寄付により拝殿が新築されています。

昭和60年当時は、南初富、北初富、富岡の三連合会で神社を護っていましたが、現在は自治会となり、南初富自治会、北初富連合自治会、富岡自治会、くぬぎ山連合自治会、北初富第一自治会で護っております。

これからも先人の意思を引継ぎ、神社を護り通して行きたいと強く思います。

※ 現在、新しいリーフレットをご用意しています。